1712年日に、加賀藩支藩の大聖寺藩6万石は8月の台風で大被害を受けました。農民たちは、何回となく年貢の減免を願い出て、ようやく見立て役人が来ましたが、その見立てが実情に合っていませんでした。それで、この日に5千人が一揆を起こしました。藩に年貢の4割減を認めさせるとともに大庄屋を打ち壊しました。大庄屋を除く村役人の名主から下人まで男は全員参加するという「惣百姓一揆」と打ち壊しをともなう強訴で藩にのぞみました。このようなやり方は、これ以降、日本各地で見られるようになりました。
参考資料「食の366日話題事典」