戦後、国内の米の生産だけでは需要を満たすことができず、ビルマ(現在のミャンマー)やタイなどから多量の米を輸入していました。1952年(昭和27年)の1月13日に神戸港でビルマからの輸入米に、多量の黄変米が見つかりました。黄変米とは、カビによって、黄色に変色をし、悪臭をは放っていた米です。有毒性が問題になり、配給拒否のボイコット運動が各地で始まりました。これは、黄変米騒動に発展していきました。
参考資料「食の366日話題事典」